ヒーリングっとプリキュア感想文(震え声)

 約一年ぶりの更新の様な気がするけど、こんなこと十年ぐらいやっていればこういう様なブログの運営になってもいいと思っていますしその方が生きてるって感じがします。

 

 私がプリキュアを本格的に見始めたのは2011年のスイートプリキュアからという事になりますので今年で丸10年という節目を迎えました。どうしてここまでプリキュアから自分は目が離すことが出来ないのか?なぜプリキュアだけ10年間もシリーズを見続けられるのか?本当に謎です。一緒に見始めた友人は途中でシリーズからは離れてしまいましたが未だに自分は日曜の朝8時半を楽しみにしています。

 

 前作のプリキュアでは「宇宙」をテーマに様々な価値観の多様性を描いていました。

 今年は「癒し」をテーマに地球のお手当という形で環境問題を描くことが発表の段階では示唆されていました。

 この一年間のプリキュアは近年現実社会での「社会性」をテーマにしたHugプリよりも現実社会の影響を大きく受け、過酷なプリキュアだったことはちょうど10年前のスイートプリキュアと重なる部分もあったのかとこの原稿を書いている2021年3月11日には考えてしまいます。

 ただ、そういった災厄にこのヒーリングっとプリキュアが本当の意味で立ち向かうことが出来たのか……。それは個人的には疑問符を付けざるを得ないと思いました。

(まぁ、有り体に言ってしまえば構成そのものが個人的に疑問符の付く様な展開があったことに起因しますが……)

 いずれにせよ、前作のスタートウィンクルプリキュアの感想文よりは本編に入り込んでいた分その反動が大きい感じですので長々と愚痴を聞きたくない方は「この人は相変わらず文句ばっかり言って何が楽しくてプリキュア見てるんだろうか?」と呆れかえってブラウザバックしてもらって構いません。それでは……全文が長くなりましたが開幕します。

 

1:「100年ぶりの出会いは運命なのか」

 新型コロナウィルス。世界の人口は70億人を超えると言われているが、その大半が既にこの単語を知っていてもおかしくはないだろう肺炎症状を起こす新種のウィルスだ。

 地球の癒しを看板に掲げた本作はこのウィルスと運命的な出会いをしてしまった(世界的に大流行したスペイン風邪が約100年前の出来事だというので)。その結果、アニメの製作が出来ない状態になり通常シリーズとの話数の差、年間スケジュールの後ろ倒しなどプリキュアリーズにとって未曾有の事態に突入した。

 恐らく最初に決まっていた計画を断念したりしなければならないこともあったのだろう、それでも一年間プリキュアを制作してくれたことには素直に感謝の言葉を述べたい。

 

2:「掲げたテーマを出すのが遅すぎた」

 いきなり手のひらをドリルに改造してしまうことをご容赦頂きたい。

 前世はミステリアンが作り出したモゲラだったので。

 冗談はさておき今回のプリキュアシリーズは「癒し」をテーマに「地球のお手当」というフレーズでプリキュアとヒーリングアニマルという妖精とが手を取り合い、敵であるビョーゲンズとの闘いと普通の女子中学生の日常を描いていくという全体の流れになっている。

 今の文章をただ流して読んだ場合特に疑問符を感じることなくお話が完結するように思えるが、ところがそうはいかない。

 

 実際には(ビョーゲンズという「病原体」がモチーフの敵に寄生され、小学校を通うことが出来なかった主人公の花寺のどかが寄生物が体から離れたため突然元気になって少しでも良い環境で住みやすい)すこやか市に移住してくるところから物語は始まる(括弧内は本編で徐々に明らかになる)。

 一方、ヒーリングアニマルとは地球上に存在する別世界で主に地球に住む動物がモチーフになり地球の環境や生き物のパワーバランスを見守る守護者として存在する。以前のビョーゲンズとの戦いの傷が癒えぬまま再びビョーゲンズが活動を始めた事を知った女王ティアティーヌ(以後「手当犬」と呼称)は見習いであるが有望株のラビリン、ペギタン、ニャトランを娘のラテと共にプリキュアとなるべく人間を探し、その人間と共にプリキュアとなって戦う事を至上命題に掲げ人間界に派遣するところから物語は始まる。

 他方、ビョーゲンズは地球を蝕むことで自らが住み心地のいい世界に変化させんと力づくで地球上の生物を駆逐しようとする絵に描いたような悪の組織であり以前に手当犬によって撃滅させられたかに見えたが長い時間をかけ復活。今度こそ地球を我物にせんと三幹部を率い人間界を蝕みにやってくる。

上記がヒーリングっとプリキュアにおけるスタート地点における3つの団体の立ち位置である。ここまではまぁ、歴代のプリキュアシリーズとそこまで変わっている感じは見られない。

 

 ただ物語が進み完結へと向かった中で当初掲げたテーマは物語の最終盤で言及された印象が強く、全体的にはそれ以外のテーマがたくさん登場して方向性が見えなくなってしまったのではないかと思われる部分も多かったように思えた。ここではそれを振り返ってみたい。

 

 プリキュアである花寺のどかという主人公に対して最初に定義づけされるテーマは「原因不明の病」というもので、この原因は後半途中で真相が明かされることになるのだがそれ以前にも「原因不明の病で失った小学校時代」を振り返るシーンは多々あり主人公がビョーゲンズに寄生されていたことがいかに苦しく辛い体験だったのかが語られ、また家族や主人公の過去を知る登場人物も当時の辛さを共有しているように感じた。

 のどかが発する「生きてるって感じ」は恐らく長期の入院生活の反動から出ている口癖なのだろう。

 

 次に他のプリキュア達にも目を向けてみたい。初代から続く全く毛色の違う中学生がプリキュアに変身したことをきっかけに距離が近づき、友情を深め合い、時にはその人生すらも変えていくような存在になっていくというフォーマットは大体踏襲している。プリキュアシリーズにおける大きなテーマである「女子中学生の日常と心の成長譚」と言い換えることが出来るだろう。

 個人的には「のどか」「ちゆ」と比較して「ひなた」「アスミ」の個人的な問題提起とその解決策の提示にやや大きな差が見られたように感じた。というかかなり「ちゆ」の女将とハイジャンに尺を割いたような気がするんだが気のせいだろうか……。この辺は確実にコロナの影響を受けたと考えられても致し方ない。

 

 三つめがヒーリングアニマルについて。今年の妖精枠はヒーリングアニマルという地球に存在する人間世界とは別の空間にいる地球の動物たちをモチーフにした住人達が住む世界の住人の総称であることは先に述べたとおりである。手当犬を頂点として地球のバランスをとることが使命でのどか達プリキュアと力を合わせてビョーゲンズに対抗している存在……だと思っていましたがこれがどうやら違うらしい。

 その事はビョーゲンズの親玉であるキングビョーゲンを浄化した後に判明する。最終回で唐突にあるセリフが出てくるからだ。ヒーリングアニマルのサルローとかいう頑固爺が言うには「ビョーゲンズも人間も地球の環境を蝕んでいる点では一緒」との事。「人間が環境破壊を繰り返したときにはヒーリングアニマルは人間にも刃を向ける」と手当犬も言い出す始末。

 確かに現実の自分たちの世界では「環境問題」というテーマは深刻で温室効果ガスの排出やら人口増加やら人間が地球に与える影響で地球そのものが持たない時が来ているのは30年以上前から時々刻々と言われてきた課題であり解決の見通しはなかなか立ってはいない。

 しかし、ヒーリングっとプリキュア本編で人間の一方的な都合で環境問題が深刻になっているといったシーンはそこまで顕著に見られなかった。むしろ、主人公たちの住むすこやか市は環境問題について積極的に取り組み、町の人達も比較的穏やかな人が多い理想の町として描かれて、環境問題については殆どビョーゲンズが蝕むという形で担っていた。そんな状況でヒーリングアニマルと一緒にビョーゲンズと戦ってきた主人公達になんでそんなセリフを言う必要があったのかは視聴者には理解できるけどアニメ展開としては理解に苦しむ。(そもそもアスミはOKでのどか達がNGの線引きも曖昧だし)

 

 最後が敵の組織であるビョーゲンズのキャラクター。

 まず彼らのモチーフが「病原菌」なのか「病原体」なのかが曖昧だったのだが想像通りその辺りの概念がごっちゃになった存在として地球を蝕むという目的の為に姿や形を変えて地球上に危機をもたらしてきた。劇中では地球上のエレメントさん達の力が弱体化され、地球上が赤黒いオーラで覆われてしまう事で危機的状況を演出していたが、この演出は果たして地球を蝕むという意味で効果があったのかは少し疑問が残る。

 

 キャラクターについてだが、使い捨てのキャラクター以外は頂点に立つキングビョーゲンにその配下の三幹部のダルイゼン、グアイワル、シンドイーネが毎回出撃をしてプリキュアと戦う最近のプリキュアシリーズでよく見る構図となっていた。

 三幹部はキングビョーゲンの配下ではあるもののそれぞれ独立した知性を持ちグアイワルは自分が一番になる事、シンドイーネはキングビョーゲンを崇拝する事、ダルイゼンは自分が住みやすい世界を作る事に重きを置き最後まで我を貫き通してプリキュア側とは理解し合うことも無く消えていくという近年の幹部たちとは一線を画す描かれ方になった。三幹部のキャラクター描写は終わってみれば終始一貫していたかなとは思えるけど、やっぱり彼だけは……救われて欲しかったな。

 

 という訳で、今回のプリキュアに関して見えたテーマをもう一度列挙してみたい。

 「原因不明の病気」「中学生の成長譚」「環境問題」「病原菌・病原体」

 1項目でも述べたが、ヒーリングっとプリキュアは現在進行形の新型コロナウィルスと運命のいたずらとしか言い表せないように同じ時期に放映されることになってしまい、社会全体が病気と闘わなくてはいけないといった風潮の中でどうしても最初に掲げた「環境問題」よりもビョーゲンズという「病原菌・病原体」がモチーフの存在と主人公の「原因不明の病気」という点がどうしても目に入ってしまうシリーズだったように感じる。約5話分少なかったことは「中学生の成長譚」がテーマの回でバランスが悪くなった原因かもしれない。

 現実の世界で環境問題が悪化することによって、新型コロナウィルスの様な未知のウィルスが出来てしまうこともあるという話を耳に挟んだことがある。その論法であるなら「環境問題」と「病原菌・病原体」「原因不明の病気」というテーマはリンクすることとなり地球環境を守る(あるいは自然を癒す)ために戦うプリキュアは違和感なく目に映るのだろうと思ったが、本作はあまりにも「原因不明の病気」というテーマに比重が行き過ぎて本来掲げたはずの「環境問題」が最後に語られたというのが全編を通して見た時の違和感の原因なのかなあと考えたりした。

 

3:「キュアグレースとはなんだったのか?」

 本来ここに入るタイトルはもっとセンシティブな単語が入っていたのだが、それだとあまりにも支部に出た愉快犯みたいでいやだなと思ったのでタイトルは変更しましたが、内容的には相当アレですので重ねてご容赦願います。

 結論から言ってしまうと、最終的にダルイゼンを救わなかったのは花寺のどかとしては諸手を挙げて大賛成できる。だが、キュアグレースとしては致命的な間違いだったと思う。というのが最終的にこの感想文で一番言いたかったことだ。今の一文の為に約4500文字をダラダラと書き連ねてきたと言っても過言ではない。(ここから更に3000文字)

 

 どうしてこのような事態になってしまったのか、今までの文章と被る点もあるがもう一度花寺のどかとダルイゼンの関係性について振り返ってみたい。

 「原因不明の病気」に罹った花寺のどかの病気の真相が「ある名も無いビョーゲンズが体内に寄生した事」だったことが後半の物語で明らかになる。その寄生していたビョーゲンズがのどかの体内で成長し、ダルイゼンという人間態になり花寺のどかの体から出てキングビョーゲンの元へ向かい三幹部という立場になる。同時期に花寺のどかの病気が完解し、すこやか市に引っ越した先でラビリンらヒーリングアニマルと出会いキュアグレースになる。そして二人は運命の出会いを果たすことになる……ところまでが第一話の全貌。

 

 その後、プリキュアチームとビョーゲンズとの果てしないバトルの中で、ビョーゲンズの組織や力関係、戦力増強の方法や彼らがそれぞれ統一した意志を持っているわけではなくそれぞれの野望に向かって狡猾さを発揮した。コミカルなシーンもあり表情豊かではあったが終始地球を蝕むという対話不可能な形で最終的にはグアイワルもシンドイーネも最後までプリキュアとわかり合う事や反省して転生するということは無かった。

 

 ただ、ダルイゼンだけはキュアグレースに救いを求めた。物語後半キングビョーゲンにグアイワルが取り込まれた際、ダルイゼンは次は自分が取り込まれると恐怖した。この恐怖は恐らくは自分の野望が潰える事への恐怖と、自分という意思を持つことが出来なくなってしまう事への恐怖などいくつかの恐怖が考えられるが、とにかくその恐怖を前にしてキングビョーゲンの元から逃げ出しキュアグレースに助けを求めることにした。

 下水道に身を隠すシーンは最早三幹部のダルイゼンとは程遠い弱さを感じたし、事実そういう演出だったのだろう。もっとも、傷だらけでキュアグレースに言った言葉は「もう一度、お前の体内に匿ってくれ」という最低レベルの口説き文句ではあったが。

 

 そんなダルイゼンが伸ばした手をキュアグレースは振り払った。このシーンは歴代プリキュアシリーズの中でも自分の中で相当ショッキングなシーンだった。その後、花寺のどかはダルイゼンを助けなかったことを一人悩むが、ラビリンの後押しもあり結局「どうしても嫌」という事でダルイゼンは救わず浄化させる事を決定する。時同じくして、ダルイゼンも自分にメガパーツをつけ暴走状態に。もはや対話不可能となり「私の体と心は私の物」というキュアグレースのセリフによって浄化、その後はキングビョーゲンに取り込まれそれ以降ダルイゼンは本編に登場することは無かった。

 

 自分はダルイゼンが本編で最後まで生存すると思っていたので、この結末はただただやりきれない気持ちでいっぱいになった。

 

 理由としてはいくつかあるがまず、三幹部が最初から寄生先を選んでいたわけではないだろうという点だ。ダルイゼンものどかにメガパーツを刺すというぐう畜行為をしなければ自分がのどかから生まれた存在なことは分からなかったし、グアイワル・シンドイーネに至ってはその事については興味も無ければ描写も無かった。

 これが最初から宿主が明確な上でプリキュアに変身しているとはいえのどかに悪辣な行為や暴言を吐くような状況であれば、ピンチになったから助けてほしいというのは虫が良すぎるので拒絶されても同情もしないだろう。

 ただ、三幹部自体にも選択肢が無くキングビョーゲンに利用されるだけの為の存在として使い捨てられるというのであれば、同じ知的生命体として伸ばした手をのどかの体内に匿う事以外の何らかの形で掴むことは出来たのではないかとは思う。

 

 次に商品開発部が考えたキュアグレースとダルイゼンのペアのぬいぐるみセット販売。番組中盤で発表された商品で単体で遊べることに加えてペアでも遊べるという事を売りにした商品だった。過去にもこの手のプリキュアと敵幹部の仲良し商品は存在したが、終わってみたら何だったんだというウルみゆTシャツなんかもあり、今回もその系譜として見ることも出来るが声有りのぬいぐるみでペアで発売されて掛け合いまですると聞いたらそりゃ期待しちゃう。

 輪をかけて最悪だったのはダルイゼンをはじめから退場させるつもりで本編作ってたってのが白日の下にさらされたこと。それって言い換えれば連携が取れていませんでしたってのを認めてしまうことになるし、実際商品としてリアルマネーが動いているという事にも留意しなければならない。

 

 ダルのど論争をを見ていく中で散見されたのがそれでもダルイゼンも他のビョーゲンズと同じように自分の目的の為に一貫して花寺のどかに酷いことしたよね?その男が自分の立場が弱くなったからのどかに助けを求めるって現実世界で言うドメスティックバイオレンス男と同じ論理じゃない。という意見。

 やや社会派な物事の言い方をするのであれば、この意見は納得できる。だからこそ先に言った「花寺のどか」としてダルイゼンを救わなかったことには自分は大賛成しているという結論につながっている。確かに花寺のどかはプリキュアという作品の主人公の女の子だけれども一人の中学二年生の女の子の一人でしかない。その女の子にここまで深い心の傷を負わせてまだ利用しようと考えているから「私の心も体もすべて私の物」という啓蒙的な台詞が出てくるのはある意味当然のことだと思う。

 

 でも、もっと社会派な物事の言い方をすればダルのどの関係性の消失は単にカップリングにならなかったチクショー!という話ではない。ダルイゼンの伸ばした救いの手を振り払ったキュアグレースはその瞬間に「原因不明の病気」であった過去をも拒絶したように思えた。もし現実社会でコロナウィルスがここまで猛威を振るっていなかったら作り手の意識も変わったのかもしれないが、「病気」というのは何も完解するものだけではない。ワクチンが出来て世界中の人間がコロナウイルスに罹らなくなってよかったね。というのは「病気」をほんの一部分しか見ていないに過ぎない。

 

現実世界における「病気」とは本当に様々なシチュエーションから発症するもので、生まれた時から病気の人もいるだろうし、後天的に病気になってしまい日常生活を送るのが難しくなってしまう人もいるだろう。そうやって「様々な病気と向き合う人間」は世界中にたくさんいる。

「病気になったことが無い」という文面を見目にしたとき、ああこの制作陣には「病気と共に生きる」という発想は最初から無かったのかなと落胆してしまったし、そういう思想を持たないままダルイゼンが伸ばした手を振り払ってしまったキュアグレースというプリキュアは果たして何を癒すヒロインだったのだろうか?